前田利家公に会いに…荒子城・前田城を攻めに…

歴史
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前田利家公像

前田利家公初陣之像とまつ像

 前田利家(1539?‐1599)

加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権五大老の一人。
荒子城主前田利春(利昌)の四男として生まれ、幼名は犬千代。1551年頃から織田信長に仕え、尾張統一戦の萱津の戦いや浮野の戦いで戦功を挙げる。この頃から「槍の又左」の異名をとり、信長の親衛隊である赤母衣衆筆頭に抜擢された。1558年、従妹であるまつを室に迎える。1559年、信長の寵愛を受けていた同朋衆の拾阿弥を斬殺し出奔、浪人の身となる。桶狭間の戦いには信長に無断で参戦し、戦功を挙げるも帰参を許されなかった。美濃の斎藤氏との戦いにも無断で参戦し、信長に戦功が認められ、帰参。1569年に信長の命により、兄・利久に代わって前田家の家督を継ぎ、荒子城主となる。
その後、姉川の戦い、長篠の戦いなどに参戦していく。

「かぶき者」

「槍の又左」

荒子城跡(冨士大権現天満神宮)

荒子城址
前田利家公生誕地の石碑 

荒子城は、前田利家の父・利春によって築かれた平城。現在は、冨士大権現天満神宮となっている。冨士浅間権現(現在の浅間神社)は荒子城築城の折に城の鎮守として観請、天満神は前田氏が菅原道真の子孫としており、ともに前田氏ゆかりの神様を合祀している。利家生誕の地とされる一つ。

  荒子観音

荒子観音・山門
荒子観音寺・多宝塔

729年創建の天台宗の寺院。尾張四観音の一つ。1576年に前田利家が再建。多宝塔は1536年に再建。1200体を超える円空仏で有名。

 前田城跡(前田速念寺)

前田城跡、前田速念寺

前田城跡は、現在は前田速念寺となっている。前田氏発祥の地である。前田氏は、有力な土豪として信長に属し、前田城を中心に蟹江城、一色城、荒子城などを支配した。利家も生誕後、7歳まで前田城で過ごしたといわれている。

観光情報

荒子城跡(冨士大権現天満神宮)

所在地:〒454-0869 名古屋市中川区荒子4-208
交通:あおなみ線「荒子」駅下車徒歩20分

荒子観音

所在地:〒454‐0861 名古屋市中川区荒子町宮窓138
交通:あおなみ線「荒子」駅下車徒歩10分
地下鉄東山線「高畑」駅下車(4番出口)徒歩10分

☝駐車場あり。荒子城跡には、ここから歩くとよい。荒子観音寺から利家誕生地まで、西南200mの看板があるが、厳密には直線距離で200mなので、南に約150m、西に約50mでたどり着ける。住宅街にて分かりづらい。

前田城址(前田速念寺)

所在地:〒454‐0941 名古屋市中川区前田西町1-904
交通:近鉄「伏屋」駅下車徒歩10分

 麺屋はなび 高畑本店

住所:454-0911:名古屋市中川区高畑1-17
☝名古屋めし・台湾まぜそば発祥の地。台湾まぜそばが有名になる前から通っているが、そもそも塩ラーメンが美味い(麺、スープ、具材などすべて)。最近はキミスタ(炙りチャーシュー入りまぜそば)を注文することが多い。はなびの店舗の中でも本店はレベルが違うことだけ付け加えておきます。前田氏巡りの際はぜひ。

キミスタ(カレー味)
伯耆守

先祖(馬印渋め)は、豊臣一門衆として秀吉公を黎明期より支える。
戦国期当時の城跡に館を構え、代々その地を守り、近代に至る。
先祖が、秀吉公と共に駆け抜けた戦国の世に思いを馳せ、武将に会い、城を攻め、合戦に参陣する。

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戦国放浪記ー夢のまた夢ー

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