歴史

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赤塚の戦いに参戦…

赤塚の戦い 織田信秀の死後、1552年鳴海城の城主・山口教継(のりつぐ)とその子・教吉(のりよし)が、今川方に寝返る。山口教吉が守る鳴海城に向け、信長は軍勢800で出陣し、中根村(名古屋市瑞穂区)、小鳴海(名古屋市緑区)を抜け、三王山に陣取...
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福島正則公に会いに…

福島正則公像 福島正則公像   福島正則(1561‐1624) 尾張清洲城主、安芸広島城主、のちに信濃川中島4万5千石(高井野藩)に改易。尾張国海東郡二ツ寺村(現在の愛知県あま市)に生まれる。母が秀吉の叔母であった縁で、秀吉の近習に取り立て...
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桶狭間の戦い(織田方)に参戦…

清洲城 1560年、駿河の今川義元の軍勢が尾張に攻め込み、松平元康が大高城に兵糧を運び入れ、5月18日には丸根・鷲津の砦に攻撃を開始した。その知らせを聞いた織田信長は、19日早朝、僅か6騎で清洲城を出て、熱田神宮へ向かった。ここから、織田信...
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徳川家康公に会いに…駿府城を攻めに…

NHK大河ドラマ『どうする家康』では、徳川家康は、息子・秀忠に征夷大将軍の位を譲り、「駿府の大御所」として大御所政治へ。家康が少年期と晩年を過ごした駿府にお出かけしてみてはいかがでしょうか。大河ドラマ館は、2024年1月28日(日)まで。 ...
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桶狭間の戦いに参戦…

桶狭間の戦い(桶狭間古戦場伝説地-豊明市) 1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立した。昼頃、佐々政次・千秋四郎隊が桶狭間村で今川軍の先頭に攻撃を仕掛け討ち死にした。その知らせと、鷲津・丸根の砦での勝利を聞いた義元は田楽...
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本多忠勝公に会いに…桑名城を攻めに…

NHK大河ドラマ「どうする家康」で、本多忠勝ロスの方は会いに行ってみてはいかがでしょうか。  本多忠勝公像 本多忠勝像 本多忠勝 武将印とパンフレット  本多忠勝(1548-1610) 徳川四天王の一人。桑名10万石初代藩主。生涯において5...
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竹中半兵衛重治公に会いに…

竹中半兵衛重治公像 竹中半兵衛重治(1544‐1579) 秀吉の軍師で、黒田官兵衛とともに「ニ(両)兵衛」と称される。妻の父・安藤守就らとともにわずか16名で難攻不落の稲葉山城を乗っ取り、数か月後に主君斎藤竜興に返還。その後、秀吉に請われて...
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桶狭間の戦いに参戦…

桶狭間の戦い(桶狭間古戦場公園-名古屋市) 1560年5月19日朝、今川義元は沓掛城を大高城に向け出立し、おけはざま山に本陣を置く。そこで、織田信長の奇襲を受ける。今川方の旗本約300が義元を守り応戦するも、おけはざま山の西の深田際まで追い...
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前田利家公に会いに…荒子城・前田城を攻めに…

前田利家公像 前田利家公初陣之像とまつ像  前田利家(1539?‐1599) 加賀藩主・前田氏の祖。豊臣政権五大老の一人。荒子城主前田利春(利昌)の四男として生まれ、幼名は犬千代。1551年頃から織田信長に仕え、尾張統一戦の萱津の戦いや浮野...
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桶狭間の戦い(今川方)に参戦…

沓掛城址今川義元最後の滞在地) 1560年、駿河の今川義元は、尾張に攻め込み、沓掛城に入る。5月19日朝、沓掛城を大高城へ向けて出立した。その途中、桶狭間において、織田信長に攻撃され、討ち死にすることになる。 沓掛城跡(本丸) 沓掛城跡(二...