桶狭間の戦い(織田方)に参戦…

歴史
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 清洲城

1560年、駿河の今川義元の軍勢が尾張に攻め込み、松平元康が大高城に兵糧を運び入れ、5月18日には丸根・鷲津の砦に攻撃を開始した。その知らせを聞いた織田信長は、19日早朝、僅か6騎で清洲城を出て、熱田神宮へ向かった。ここから、織田信長の天下取りが始まることとなる。

1989年に天守閣が復元されている。

清洲城天守

 織田信長公像(清洲古城跡公園)

復元された清洲城天守閣と五条川を挟んだ対岸に清洲古城跡公園があり、昔の清洲城があったところである。ここに織田信長公像と濃姫の銅像がある。公園内には信長を祀る小社もある。

織田信長公像
織田信長公と濃姫像

 日置神社

信長は、清洲城から熱田神宮へ向かう途中、榎白山神社→日置神社→白鳥山法持寺に立ち寄り、戦勝祈願したと言われている。日置神社には勝利を収めた返礼として、千本の松を寄進した。

清洲城から熱田神宮まで美濃路で約15キロなので、馬ならば30分もあれば到着するところを、信長は約2時間かけて移動している。戦勝祈願しながら、部隊を揃え、熱田神宮に向かったと思われる。

日置神社
日置神社

  古渡城跡

日置神社のすぐ南には、織田信長が元服した古渡城(1560年当時にはすでに廃城)があった。古渡城は、信長の父・信秀が築いた平城である。この辺りは、信長が少年期に慣れ親しんだ土地であると言える。
城跡には東本願寺別院(東別院)が建てられ、敷地内の西側に石碑がある。 

古渡城跡
東本願寺別院

 熱田神宮

三種の神器である、草薙剣を祀る神社。桶狭間に向かう信長が戦勝祈願を行った。
賽銭箱に5枚の銅銭を投げ入れたところ、5枚すべてが同じ面を向いたため、信長軍の士気が高まった逸話がある。また、二羽の白鳥が飛び立ち、信長を導いたとも言われている。

熱田神宮

  信長塀

桶狭間の戦いの勝利の御礼として信長塀を奉納した。当時は熱田神宮の境内の周りに400mに渡っていた。三十三間堂(京都)の太閤塀、西宮神社(兵庫)の大練塀とともに、日本三大土塀の1つに数えられる。

信長塀

  別宮 八剣宮

熱田神宮境内には別宮・八剣宮がある。信長は長篠の戦いに出陣の際に、戦勝祈願を行った。徳川家康も浅野長政に命じて本殿を造成させている。

八剣宮

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観光情報

清洲城

住所:〒452-0932愛知県清須市朝日城屋敷1-1
電話:052-409-7330(清洲城管理事務所) 
交通:名鉄 名古屋本線新清洲駅から徒歩15分
   JR 東海道本線清洲駅から徒歩15分
休館日:月曜日〈休日の場合は直後の平日〉、12月29日から31日
    ただし、桜の花見期間は開館

清洲古城跡公園/織田信長公像

住所:〒452-0942 清須市清洲古城448番地

☝清洲城天守閣から五条川を挟んで対岸にあります。

日置神社

住所:〒460-0016愛知県名古屋市中区橘1丁目3-21

熱田神宮/信長塀/別宮 八剣宮

住所:〒456-0031 名古屋市熱田区神宮1-1-1
電話:052-671-4151
交通:
正門(南門)への最寄り駅
・地下鉄名城線「熱田神宮伝馬町」駅下車。1番出口より徒歩7分           
西門への最寄り駅
・地下鉄名城線「熱田神宮西」駅下車。2番出口より徒歩7分
東門への最寄り駅
・名鉄名古屋本線「神宮前」駅下車。徒歩3分
・JR線東海道本線「熱田」駅下車。徒歩8分

☝八剣宮は正門からが近い。

宮きしめん 神宮店

きしめんは、名古屋メシの一つとして、名古屋人のソウルフードです。宮きしめん神宮店は、熱田神宮の境内にあり、緑に囲まれた清々しい雰囲気で、きしめんをいただくことができます。

宮きしめん

伯耆守

先祖(馬印渋め)は、豊臣一門衆として秀吉公を黎明期より支える。
戦国期当時の城跡に館を構え、代々その地を守り、近代に至る。
先祖が、秀吉公と共に駆け抜けた戦国の世に思いを馳せ、武将に会い、城を攻め、合戦に参陣する。

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戦国放浪記ー夢のまた夢ー

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