戸田氏鉄公に会いに…大垣城を攻めに…

戸田氏鉄公と大垣城 歴史
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戸田氏鉄公騎馬像

戸田氏鉄騎馬像
戸田氏鉄公騎馬像
戸田氏鉄騎馬像と大垣城
戸田氏鉄公騎馬像と大垣城

  戸田氏鉄うじかね(1576‐1655)

徳川氏の家臣。家康の近習として仕え、関ヶ原の戦いに参戦。島原の乱でも活躍。膳所第二代藩主、尼崎5万石藩主を経て、大垣10万石初代藩主。尼崎での治水事業の手腕を認められ、大垣においても治水事業に尽力し、新田開発を行い、藩政の基礎を固める。

 大垣城

大垣城東門
大垣城天守
大垣城天守

大垣城は、関ヶ原の戦いにおいて西軍の本拠となった平城。1649年に戸田氏鉄が改築し、江戸時代を通じてと戸田氏の城下町の中心としてそびえた。1936年に国宝に指定されるも、1945年の大垣空襲により焼失。戦後、再建される。

豊臣秀吉「かなめの所、大柿の城」

【観光情報】

◆大垣城
住所:岐阜県大垣市郭町2丁目52番地

☝大垣城御城印は、大垣城天守の受付で購入できます。戸田氏の家紋「九曜」と石田三成の旗印「大一大万大吉」が配置されています。

大垣城御城印
2024/4/1 大垣城と桜
伯耆守

先祖(馬印渋め)は、豊臣一門衆として秀吉公を黎明期より支える。
戦国期当時の城跡に館を構え、代々その地を守り、近代に至る。
先祖が、秀吉公と共に駆け抜けた戦国の世に思いを馳せ、武将に会い、城を攻め、合戦に参陣する。

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