竹中半兵衛重治公に会いに…

竹中半兵衛、竹中氏陣屋跡櫓門 歴史
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竹中半兵衛重治公像

竹中半兵衛像

竹中半兵衛重治(1544‐1579)

秀吉の軍師で、黒田官兵衛とともに「ニ(両)兵衛」と称される。妻の父・安藤守就らとともにわずか16名で難攻不落の稲葉山城を乗っ取り、数か月後に主君斎藤竜興に返還。その後、秀吉に請われて信長に仕え、秀吉の参謀となり、数々の戦功を立てる。三木城攻めの最中、36歳の若さで陣中にて病死。
兜は「銀箔押一の谷形兜」で、遺品として福島正則の手に渡り、朝鮮の役後、仲直りのしるしとして黒田長政の手に渡る。虎御前の太刀は山内一豊に、采配は黒田長政に、金の切り裂き馬印は秀吉の御旗になる。

「智謀神のごとし」

竹中氏陣屋跡

竹中氏陣屋跡櫓門

半兵衛の子・竹中重門が築く。白壁の櫓門、水堀、石垣の一部などが残る。門前に半兵衛像がある。明治政府の「幕府建造物破壊令」に対し、「櫓門は菁莪(せいが)学校の正門である」との主張で残された。前身の「菁莪義校」、「菁莪学校」は天保年間に竹中氏が建てた道場である。現在は、記念館として、竹中氏や菩提山城などの歴史を知ることができる。

竹中半兵衛甲冑
竹中半兵衛重治公パンフレット
菩提山城御城印、櫓門御城印

竹中氏菩提寺・禅幢寺/竹中重治公の墓

禅幢寺
竹中半兵衛重治公の墓

竹中氏陣屋跡から、菩提山城に向かってなだらかな上り坂を徒歩約6分、竹中氏の菩提寺である禅幢(ぜんとう)寺がある。山門をくぐり、左手を奥に進むと、竹中氏の墓所があり、半兵衛重治公の墓がひっそりとたたずむ。

観光情報

竹中氏陣屋跡

所在地:〒503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手619-2
☝竹中半兵衛像は竹中氏陣屋跡前にあります。駐車場が近くにあり、本記事掲載の場所は徒歩圏内。

岩手地区まちづくりセンター

所在地:〒503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手608
☝竹内氏陣屋跡櫓門のすぐ隣です。菩提山城と櫓門の御城印は、こちらで購入できます。

伯耆守

先祖(馬印渋め)が秀吉公と共に駆け抜けた戦国の世に思いを馳せる。
当時の城跡に館を構え、代々その地を守り、近代に至る。

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戦国放浪記ー夢のまた夢ー

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